白金新聞は東京白金の粋な情報を発信するWEBマガジンです。

年間50回20000枚以上撮影するカメラマンを発見!

“お店やイベントの紹介だけでなく、
編集部員が気になった地域活動やそこに住んでいる人達の様子を取材して、
「白金の声」が聞こえてくるようなサイトを目指しています。”

白金タイムズより
http://shirokane-times.com/about
白金タイムズ編集長須佐直人さんです


1.新潟から上京、カメラマンアシスタントを経て
グラフィックデザイン、ウェブデザインの世界へ。
インターネット黎明期を過ごす。


2.白金地域のイメージと現実のギャップを感じ白金タイムズを発足
現在は、港区観光大使、プラたか.netカメラマンを兼任し地域情報を発信

カメラマン須佐さん.00_00_49_16.静止画002

須佐直人さん(すさ・なおと)
プロフィール
新潟県出身
新潟明訓高校
東京造形大学
グラフィックデザイナー
Webデザイナー
港区観光大使
プラたか.net カメラマン
http://p-takanawa.net/
白金タイムズ編集長
http://shirokane-times.com/

地域イベントでは、良い場所で特大のカメラを構えている須佐さん
職業はグラフィックデザイナーさんと聞いていましたが、
プロ級の立派な写真も撮れる。一体何者なのか??
お話を聞きました。

インタビュー記事と一緒に
白金タイムズさんinstagramの写真もどうぞ


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東海大学のさくら。まだ蕾があります。 #桜#東海大学#高輪#港区

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白金新聞
ご出身はどちらですか?

須佐直人さん
出身は新潟で、新潟明訓高校に行ってました。
水島新司先生の「ドカベン」にも出てくる高校です。
現在は野球も強く、進学校になっているようです。

高校3年の文化際で映画監督をやらされたとき、
ついでにスチール写真を撮影したのがきっかけで
写真を始めることになりました。

白金新聞
カメラマンになるきっかけが高校時代の文化祭。
カメラにハマり上京するわけですね

須佐直人さん
はい、
大学の同じ学年の漫研に、後にエヴァンゲリオンを描く貞本義行さんや、
アニメ監督の前田真宏さんがいました。
僕は実験的な漫画を描く「あんぐら漫画研究会」にいました。

白金新聞
あんぐら??どんな漫画ですか?

須佐直人さん
セリフがないとか、コマの中に火薬が塗ってあって
燃える漫画とか。郵送できないですよ(笑

白金新聞
漫画が燃えるんですか?(笑)

須佐直人さん
漫画研究会は、エンタメを追求した漫画を描く研究会。
あんぐら漫画研究会は、実験的な漫画が主流でした。

白金新聞
あんぐら漫画研究会を経てカメラマンになるんですね。

須佐直人さん
大学時代は、漠然とですがデザイナーになりたかったんです。
高校時代はレコードジャケットが好きで、映画のレコードジャケットを
自分でデザインして、コンテストとかに応募していました。

須佐直人さん
大学を卒業したのですが、就職失敗したんですよ。
世の中をなめてまして(笑)

写真しかやってないのに、デザイン事務所の試験を受けてましたから。
デザインの作品がないのに絶対無理ですよね。
私は全部落ちましたが、ちゃんと準備している人は、しっかり受かってました。

白金新聞
そーなりますよね(笑)

須佐直人さん
生活費稼がなくちゃいけなかったんで、写真の現像所に入ったんですが、
たまたま大学の講師と街で出会って、カメラマンのアシスタントを
募集しているという話を聞いたので、現像所をやめてアシスタントをやることにしました。

須佐直人さん
そのスタジオで3年くらい、アシスタントとして働きました。
ただ、入社する時にカメラマンになるつもりはないことを伝えました。
それでも、雇ってもらえたので感謝しています。

白金新聞
当時はまだフィルムのカメラですよね

須佐直人さん
シノゴ(4×5)っていうカメラがメインでした。
暗幕を被って、ルーペでピントを合わせるんです。

撮影で使用するフィルムには「乳剤番号(エマルジョンナンバー)」というものがあって、
番号ごとに色の特性が違うんです。シアンが強い、マゼンタが強いとか。
テスト撮影をしてから、そのフィルムの特性を撮影時にフィルターで調整します。
今みたいにパソコンで色を調整なんてできませんから。

白金新聞
グラフィックデザイナーが本業で
趣味でカメラをされてるのかと思ったんですが
カメラマンとしての下積みも経験されてるんですね

須佐直人さん
ガチでアシスタントやってましたからね(笑

須佐直人さん
アシスタントなんてお金が全然ないので
カメラマンの人がご飯連れてってくれるんです。
一応、3食付だからお金は貯まるんですよ
給料10万円しかもらってなかったんですけど
食費が全然かからないので家賃3万円で残り7万は余るんです。

IMG_4419 2

須佐さんデザインのお仕事

広告デザインを経験

須佐直人さん
広告に使う商品撮影がメインで、
缶チューハイやビールのポスターに使う商品撮影はよく覚えています。
撮影では、注射器にストローをつけて泡作ったりとか
ジョッキの水滴は防水スプレーをつけてから
霧吹きで水をかけてその後に注射器で水滴を作るという作業です。
失敗したらティッシュで拭いて、もう1回やるとか。

白金新聞
そんな撮影方法があるんですね
バブル時代の広告業界はものすごいお金が動いたんじゃないですか

須佐直人さん
CMとかもそうですが儲かってましたね
有名な広告代理店の社員とか毎日酒臭かったですからね(笑)

白金新聞
昨夜飲んでそのまま現場に来て(笑)

須佐直人さん
だから撮影中はネクタイとかよれよれで酒臭くて
この人たち酒飲まない日はないんじゃないのか?っていうくらい
凄い時代でしたよ

白金新聞
いわゆるブイブイいわしてた業界人ですね(笑)

須佐直人さん
撮影現場では芸能人にも会う機会があって、
大ファンだった薬師丸ひろ子さんと握手してもらいました

白金新聞
ガチのアシスタント生活から
グラフィックデザインの仕事に変わるきっかけがあったのですか?

須佐直人さん
撮影の立ち会いで、アートディレクターの方が出入りしていました。
その方にお願いして「弟子入り」させてもらいました。

もちろん経験ゼロなので、線を引くとこから始めました。
ロットリングという0.1mm〜0.3mmくらいのペンで、丸を書いたり四角を書いたり・・・。
80年代ですからバリバリのアナログですよ。

白金新聞
パソコンではなくて手書きの時代ですか!?

須佐直人さん
80年代後半にカラーモニターのMacが出てくるんです!
技術がなかった僕は飛びつきましたね

須佐直人さん
その頃、30歳前で、友達が会社にMacを導入するから来ないかって誘われました。

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須佐さんFacebookより

MacでPhotoshop1.0

須佐直人さん
転職した会社ではカラーモニターのMacが1台しかなかったので、
個人でモノクロ9インチの「SE/30」という小さいMacを購入して
Photoshopとか使うときは会社のカラーのMacを使わせてもらってやってました

白金新聞
もうPhotoshopあったんですか?

須佐直人さん
※Photoshop1.0ですよ

白金新聞
1.0の時代ですか!?

※macintoshで写真編集ができるソフト
カラー補正やトーンカーブ、レベル補正などの色調補正機能を搭載。version表記は7.0まで。
現在、Photoshop2020(21.0)

須佐直人さん
ぼかしのフィルターをかけるのに一晩かかりましたから(笑)

白金新聞
今では1秒の作業が一晩!?

須佐直人さん
今と違って、シングルタスクなので複数の作業が同時にはできません。
ぼかしのフィルター1個セットするともうMac使えないんです。
夜に作業を開始して一旦帰宅し、朝出社して確認すると爆弾マークが出てることは、
何度もありました。
システムエラーって、マジかよ…って(笑)

白金新聞
待ち時間が長い上にエラーもあるとは…

須佐直人さん
しかもフィルターかけるのに、あと何分とか出てこないんで
永遠と時計が回り続けてるんです。
慣れてくるとフィルターかけて、大体このぐらいの時間かかるかなぁとか計算しながら作業します。
作ったはいいけれど当時はまだデジタルで印刷できる環境じゃなくて
作業した画像データをフィルムにしなくちゃいけないんですよ。
せっかくデジタルで作業したのに、またアナログに戻さなくちゃいけないんです

白金新聞
え!?どういうことですか?

須佐直人さん
画像データを※ポジフィルムに焼いてくれる会社にもっていくんです
ポジフィルムに焼かないと印刷の原稿として使えないんです!

※ポジフィルム
写真を印刷で表現するためには、「カラープリント」か「ポジフィルム」が必要で、
「ポジフィルム」の方がキレイな仕上がりになる。

白金新聞
データを現像してから印刷ですか

須佐直人さん
フロッピーを何枚かにわけてでデータを持っていったり
ハードディスクをそのまま持ちこんだりしていました。
それも現像するのに1日かかるので
翌日取りに行って、確認してはまたやり直して・・・。

白金新聞
凄い時代ですね

須佐直人さん
今なら、メールで送ってしまえるデータ量でしたが、90年代初めのころは
アナログ回線だったので、とにかく時間がかかりました。
「パソコン通信」って呼んでましたね、分かりますか?

白金新聞
わからないです…

須佐直人さん
昔はアナログ回線を使ってデータを送ってたんです。
パソコンのデジタルデータを一度アナログ信号にして送信します。
モデムっていうのがあったのですが、今からは想像も使いほど遅くて、
フロッピーディスク(約1.4MB)程度のデータを送るのにすごい時間がかかりました。
一度送信を開始すると、その回線は「話し中状態」になるので、大体夜中に送っていました。
一晩ですね(笑。

白金新聞
まだ一晩かかりますか(笑)
それってADSLより前の話ですか

須佐直人さん
ADSLなんて「神」ですよ。
昨晩送って翌朝データが届いているか、確認の電話もしましたよ。
「データが開きません!」なんて頻繁だったので、フロッピーをそのまま渡しに行くほうが
確実で早い時代でした。

白金新聞
当時はそのエラーやバグみたいな事は当たり前だったと言うことですか


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白金氷川神社例大祭で、3年ぶりに宮神輿渡御が執り行われ、氏子町会を練り歩きました! #白金#氷川神社#港区

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ついに夢が叶う

須佐直人さん
そうです!
そして、独立したのが96年です
僕はCDジャケット、雑誌とか写真集を作っていました。

白金新聞
遂に夢が叶うんですね
CDジャケットは誰の作ったとか覚えてますか

須佐直人さん
誰でも知っているアーティストさんではないので(笑)
有名どころでは、テレサテンのベストアルバムのジャケをつくりました。

白金新聞
CDジャケットというとCDが売れた時代ですよね

須佐直人さん
90年代のCD業界は、まだバブルな感じでしたよ。
2006年には、エイベックスで特撮ヒーロー物のCDジャケットも作ってました。
特撮ヒーロー物は、一度やってみたかったので嬉しかったです。

白金新聞
特撮ヒーローですか

須佐直人さん
1年間続くので、結構好き勝手にやらせてもらえました
Photoshopで合成画像などを作るのが好きだったんで
水を得た魚のように楽しく仕事をさせてもらいました
オリジナルのキャラクターを誰よりも早く見れるのが嬉しくて嬉しくて。
そして何より、当時幼稚園に通っていた、子どもが喜んでました。
そのキャラクター画像がたくさん入っているDVDは今でも大事に持ってます。

白金新聞
もしや、特撮が好きだから※サカリバンに

須佐直人さん
もちろんです(笑)

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※J:COMチャンネルの番組
港区・新宿区のさらなる活性化を目指し、地域のさまざまなスポットや、
人、モノを探し出し紹介する、その名も「地域活性化戦隊サカリバン」。
衣装が「戦隊もの」っぽいが、特撮ではない(笑。

須佐直人さん
99年に白金に引っ越したんです。
20年前だから土地付きで現在価格の半分だと思います

白金新聞
半分ですか!?

須佐直人さん
白金高輪駅もできる前で、繁華街もないし子育てしやすいかなぁと思いまして。
たまたまいい物件があったので購入しました。
今はもう売ってしまったんですが、購入金額より高く売れました。

白金新聞
白金は穏やかでいいですよね

須佐直人さん
引っ越したはいいのですが、そこからグラフィックデザインの仕事が急激に減ってきまして
出版社などが倒産し始めたんです。
だからそろそろやばいぞ…と

白金新聞
大きな変化ですね

ウェブ黎明期へ

須佐直人さん
グラフィックには先がない!
でも、ウェブがこれから主流になりそうだから、半年位は仕事のかたわらウェブを学びました。
始めた当時、ウェブページを作るソフトなんてないですから
テキストを一から打って、手書きでコードを書いてました
何を打つとこういう形になるって言う参考書がまだない頃で
参考になるページのソースをみて、コピーして削っていくとどうなるかって言うところから始めました
列を増やすのはどうなるんだろうとか

白金新聞
周りでそういう仕事してる人いたんですか

須佐直人さん
1999年に、たまたま知り合いから大手不動産会社が新規事業を立ち上げるから、ウェブデザインをやれる人を探しているという話しがありました。
半年間かけて勉強していたので、参加することにしました。
そこがウェブの世界に入ったきっかけです。

白金新聞
その頃は企業が個人にウェブをお願いする時代だったんですか?

須佐直人さん
窓口になっていたのは、システム会社なのでそこから先は会社でも個人でも
良かったんだと思います。
ただ、この仕事をきっかけにしてウェブ制作が増えていきます。印刷やグラフィックの仕事が減ってきていたので、良い機会でした。

白金新聞
須佐さんには先見の明がありますね


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三光小学校に咲いていた「ランタナ(七変化)」 #ランタナ#七変化#三光小学校#港区

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須佐直人さん
担当したのは「オンラインショップ」のサイトです。
1997年に楽天がスタートしていたので、事業の方向としては
間違ってはいなかったと思うのですが、インフラが整っていなかったり
商品の調達が難しかったりで、結局そのオンラインショップはクローズしました。

その後も大手不動産会社とのつながりはあり、
現在も広告代理店経由ですがページ制作の仕事は続いています。。

有名キャラクターのオンラインショップの制作にも携わりました。
オンラインショップだけでなく、版権元の担当の方が仕事を回してくれて
2007年位には※Flashでアニメーションもつくりました
ストーリーも自分で考えて、パラパラ漫画のようにキャラクターを動かしてましたよ

※adobe flash player
ウェブサイトでアニメや音楽を再生できるため
長らくウェブコンテンツの主流だったが
セキュリティの問題やスマホの普及など時代の変化で利用者が減少。

須佐直人さん
パラパラ漫画なんで根気があれば誰でもできる!とは言いませんが
自分でも感心するくらい頑張ってました。

白金新聞
根気があれば…きっと細かな作業なんでしょうね


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本当の地域情報を発信したい!

須佐直人さん
そろそろ白金タイムズの話ですね
準備し始めたのが2013年、2012年頃から※恵比寿新聞さんの存在に気づきまして
編集長の高橋さんに会いに行きました

※恵比寿新聞からスタートした地域密着新聞ネットワーク。
現在、東京都以外にも阿蘇西原新聞(熊本)など他県にも増えて10社以上になる

白金新聞
行動が早いですね!

須佐直人さん
恵比寿新聞の高橋編集長に色々とお話しを伺い、自分で白金タイムズを立ち上げました。
いつか「白金新聞」にしたかったのですが・・・。

白金新聞
なぜ、白金のことを発信したいと思ったんですか?

須佐直人さん
白金に住んでいますって言うと”シロガネーゼ?”とか”高級住宅街?”っていう話になるじゃないですか。
実際は小さな工場もあって、夏とかはランニング1枚で旋盤やってるおじさんもいるし(笑)
本当の白金の情報を発信したいと思ってはじめました。

白金新聞
いまだに”シロガネーゼ”いわれますね(笑)

須佐直人さん
白金に住んではいたのですが、仕事で忙しくて近所のことを何も知らなかったですし、
近くの小学校や中学校はとにかく子どもの数が少なくて、「これは大丈夫なんだろうか」と
いう心配もありました。

白金新聞
学校の件は、問題になってましたね
廃校なんて、地方だけの問題だけかと思ってましたから・・・。

須佐直人さん
あと、商店会のホームページがほとんど動いていなかったので、
港区にメールしましたよ。
ただ、メールする場所が違ってたことを最近知りました(笑。

白金新聞
行動力!(笑)

須佐直人さん
近くを取材に行くのに、いきなり部外者がお店を回ったらまずいだろうってことで
まずは、白金北里通り商店会の会長さんに挨拶行ったんですよ。
会長の佐藤さんが気さくな方だったんで、すんなりOKもらえました。
そのうち、阿波踊りの取材きてよって声かけてもらって。

今でも大変お世話になっているので、佐藤さんに依頼されたら最優先で向いますよ(笑)

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須佐さんは港区観光大使の1人

白金新聞
白金でやりたいことはありますか?

須佐直人さん
小さいことなんですけど、レコードやCDをでっかいスピーカーで聴く会ですね
音圧を感じる位の大音量で聞く会がやりたいですね。
港区内でも図書館などで時々やっているようですが、高輪の区民ホールでやりたいです。

白金新聞
いいですね!

☆須佐さんオススメの行事は北里商店会阿波踊り☆

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