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戦争とジャズの歴史を知る画商さんが白金タワーにいた!!

白金タワー1Fアートハウス白金を経営する

北澤元朗(きたざわもとお)さんです
【戦争とジャズ編】
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1.トランペットにハマった青春時代、
ジャズを深堀りすると戦争の歴史を知ることに繋がったと語る

2.”世界中の美術館はほぼ周った”西武百貨店美術部時代の経験と
現代的な感覚を取り入現在も現役の画商さん。
“おもちゃ病院””絵本の読み語り”ご夫婦で白金エリアの児童館、
小学校、図書館、アートハウスでボランティア活動中

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北澤元朗(きたざわもとお)さん
プロフィール
生年月日:1942年 (76歳)
満州国新京市生まれ
山形県立山形東高校卒
武蔵大学卒
西武百貨店入社
東京銀座で日西ギャラリーを開設(1980年)
32年間経営して閉廊
アートハウス白金開設(2012年)

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北澤さんの生い立ち戦争の記憶

北澤元朗さん
生まれは戦前で満州なんだよ。
それで日本が戦争に負けたんで帰ってきたんだよ。昭和20年。

白金新聞
家族で満州ですか?

北澤元朗さん
そうそう。それで向こうには、昔は日本人がたくさんいたんだよ。
映画関係の会社でうちの父が仕事でいたので、私が生まれたの。
生まれすぐに北京に行っちゃって、仕事の都合でね。それで戦争が始まったけど、
負けて日本に来たの。中国からの引き揚げが大変なんだよ。
周りは中国人ばかりで、今までヘーコラヘーコラさせやがってって怒ったりするからさ。

白金新聞
敗戦して180度変わったわけですね。

北澤元朗さん
そう、180度変わった。
俺たちをいじめやがったと、言われて
帰ってくるのが大変なんですよ。
でもその頃の中国人っていうのは、
割合、親日的な人も多くてまだ良かったかもしれない。

ロシアの捕虜になった人達は
寒いところでご飯は一日一食とか、
20才前後の日本人がバタバタ死んでいった歴史があるわけですよ。
あとは絵描きさんも随分連れて行かれたね。

帰ってきたけど20代にまともに食べるものもなくて
零下20度、30度のところで働かされたっていうのは体に響いてるんだよね。

みんな長生きしてないね。みんな60代で死んじゃった。
だからそこで死ななくても日本に来てからとかね。
一日スープが一杯だけだったらしいよ。

白金新聞
生きてるだけでも大変ってことですね。

北澤元朗さん
着るものもないんだから。よく生きていたと思う。
それで私は帰ってきた。
中国から貨物船に揺られて、貨物列車に揺られて、
うちの父の母親、私の祖母ね。

親戚が山形にいて、トロッコ列車で山形に帰ったわけですよ。
そのときうちの母親はね、子供を産んですぐだったの。
私の妹は乳飲み子だったんですよ。

そういう状況で中国から返ってくるときは
お金と瀬戸物は持って帰ってこれない。お茶碗とか、金属製のもの。
写真もだめ。いろいろ軍の機密とかもあるしね。

芸術性よりも、中国の内情を
知られてくないっていうのがあってかもしれないね。
引き揚げで持って帰ってこれたのは布団だね。
布団は担いで。昔はダウンコートなんかないから。

白金新聞
ダウンコートなんか…

北澤元朗さん
布団を担いで水が必要だからやかんも。
水筒なんてものはないんだよ。
やかんを持って命からがらみんな帰って来たんだよ。
そういう状況で食べるものもない、もちろん、うちの母親はミルクもない。
だから日本に引き揚げてきて、下の妹はやっぱり衰弱して死んじゃった。

母親も産後すぐに無理な状態で、屋根のない貨物船や貨物列車に乗って
雨は降る、日は差してくる状態で、そういうところをいくんだよ。
当然体は弱るよね、赤ん坊は。

うちの母親も体を弱くして60くらいで死んじゃってるんだよ。
私は戦争によって母親と妹を殺されたと思ってるよね。
あと私の同級生はたくさん父親が戦死してるから。
私もおじが戦死してるからね。

白金新聞
普通の生活ができないわけですよね。

 

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戦後ジャズが誕生する

白金新聞
(資料を見て)
ジャズの歴史も調べてるんですか?

北澤元朗さん
そうそう。これはね、大学で講義したんだよ。

白金新聞
大学で講義!!すごいですね!!

北澤元朗さん
公開講座で講義をやったんですよ。
南北戦争が終わってアメリカ南部は黒人がいっぱいいるでしょ。
だから、黒人もたくさん兵隊に駆り出されたわけですよ。

リンカーンは奴隷解放を叫んだんです。
南軍の黒人は開放してほしいから、北軍を攻めないほうがいいじゃない。

負けた負けたって南軍が撤退して北軍の圧勝となったわけですよ。
1865年に戦争が終わって、日本の昔と一緒で、日本も薩摩軍とか長州軍とかあったでしょ。
それと同じように南軍もたくさんあったわけだよ。
それが統一されたわけだから。
アメリカ軍になったわけでしょ。そうするとばらばらになった軍はいらないわけだ。
日本国も統一されれば長州軍はいらないわけだよね。

そういうことで南軍の鉄砲がたくさん余ったわけ。
鉄砲だとあんまり届かないわけじゃない、機関銃とかじゃないんだから。
せいぜい100メートルとかさ。そうするとワーって攻めて行くときに
日本は刀だから「我こそは!!」なんてせめて行くけど、
鉄砲になるとワーって声を出しても聞こえない。
全部の軍が軍楽隊ってのを持ってて、大きな音を出すわけだよ。

鬨の声みたいなもんだよな。楽器で出せば大きいからね。
大きな音を出すほうが強そうに見えるわけじゃない。
それで大きな音をどんどん出すわけよ。
音だったら1キロ先でも届くからね。
だからトランペットとかトロンボーンとかチューバとかドラムとかでバーンバーンと
音を出して音楽を奏でながら行くわけ。

白金新聞
音楽は戦争にもつながっていくわけですね。

北澤元朗さん
いまビックカメラの宣伝の歌になってるけど
「オタマジャクシは蛙の子」を使ってるんだよ。
それはね、もともとは北軍の行進曲だったの。リパブリック讃歌って曲なの。

その曲ももっと昔は賛美歌で、その賛美歌を取り入れて
リパブリック讃歌をつくって北軍の行進曲にしたの。
ちょっとジャズとの混じり合わせが出てくるんだけどさ。

それで戦争が終わって、南部にたくさんあった軍隊が無くなって
アメリカ政府軍になったの。
軍楽隊もなくなったから、その軍楽隊の楽器を黒人たちが
楽器を手にしてジャズが出来上がっていったの。
で、そのときの鉄砲が日本に来て、明治維新で使われて

そのときにヨーロッパの人間たちが貿易商として
日本に来て色々売って儲けていったんだよ。

白金新聞
商売をするために日本に来たんですね。
北澤さんて歴史の勉強はいつされたんですか?

北澤元朗さん
ジャズを勉強していくうちにだね。

白金新聞
ジャズのことを調べていくと・・・

北澤元朗さん
こうなっていくんだよ。
叔父とか友達の父親とかがたくさん戦死して
日本の戦争は実体験としてあるわけよ。
父親は中国語の通訳の仕事もしてたからね。

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仲間が開催する新宿ジャズ祭り
北澤元朗さん
あとはこういうのやってるんだよ。(動画を見ながら)
これはウチのかみさんで、新宿のジャズ祭りの動画だね。
年に二回やってて、プロとアマが半分くらい演奏してるかな。
100くらいのバンドが集まるんだよ。
新宿の三丁目に末廣亭っていう落語の寄席がある。
その近所の30軒くらいのレストラン居酒屋さんで一斉にやるの。

白金新聞
11月(2018年)にあったんですね。

北澤元朗さん
そうそう。5月と11月。5月は新宿文化センターっていうところでやるから、
こっちのほうが面白いかも。
これは私の同級生が主催してるみたいなもんなんだけど、昔の音楽仲間が沢山ここにいるわけ。
学生時代の音楽仲間が。

白金新聞
いいですね〜

北澤元朗さん
50年以上付き合ってるのもいるよ。

白金新聞
YouTubeでニューオリンズフェローズを拝見しました!!。
トランペットを吹かれている映像を!!

北澤元朗さん
じゃあ大学のかな。
これは我孫子のマンションのお祭りだったんだよ。
武蔵大学で聖者の行進もやったよ。

白金新聞
ジャズにのめり込むきっかけは何だったんでしょうか?

北澤元朗さん
それはね、学校に入って、学校で勉強するために大学に入る・・・でもないかな笑

白金新聞

北澤元朗さん
とりあえず大学に入ろうと思ったわけだよ、
そういう道筋みたいのが多少なりとも、小学校行ったら中学校みたいな道筋があるじゃない。
高校行ったら大学行くんだろみたいな。一応山形県で一番いい高校出身だからね。
山形東高校っていうんだけど、同級生はみんな大学いくから、大学だなってなったんだよ。
何になりたいわけでもなく、なんの疑問もなくね。
周りには明治大学の教授やってるやつがいるけど、
そいつはもう最初から学校の先生になろうと思ってたんだよ。
医者になるって決めるやつもいるよね。
でも、俺は医者も学校の先生も嫌だなって。

白金新聞
僕は大学に入ってなくて、東京に出たいっていうのが強かったので。

北澤元朗さん
東京に出る手段として大学もあったわけだよ。
大学に行けば東京に出られるって。
進学校で同級生も300人位いたけど、
みんな大学へ行くんだよ。
親も望んでるし、大学くらいは出ないとなって思ってるし。

勉強しなきゃとは思ってたんだよ。でも
勉強だけじゃつまんないから何かやろうと。
大学に行って馬に乗って見たいと思って馬術部を探したら無いんだよ笑
小さい大学だからね。

大学は面白くて新入生勧誘があって、新入生の争奪戦があるんだよ。
それで歩いてたら、たまたま空手部の人間から勧誘が来て、
昔やっていた剣道と空手は似てるし体も鍛えられるから良いかと思って行ってみたわけだよ。
でもね、空手部はとにかく練習するんだよ。
夏は合宿で朝から晩までやるから新聞も見られないわけ。
一週間から10日くらい。新聞も見られないからこれじゃ頭馬鹿になると思って(笑)
少し疑問が出てきたわけ。

学校の授業が5時位に終わって空手の2練習を,3時間するじゃない。
そうすると7時か8時になるじゃない。
練習が終わって帰る頃になってどこからか音楽が聞こえるわけ。
何やってるんだろうってなって、講堂にいったんだよ。

白金新聞
青春漫画のような出会いですね

北澤元朗さん
そしたら、そこでジャズをやってるやつがいたんだよ。
たまたま私が高校の2年の時に、うちの高校はブラスバンド部がなくて、
ブラスバンド部を作ろうっていう機運が持ち上がって、
ブラスバンド部をつくったんですよ。
ところが受験校だから、入るやつがいない。
ましてや3年生になったら受験でみんなやめちゃうんだよね。

それでブラスバンドで音が出ないうちに3年生になっちゃったわけだよ。
そしたらみんないなくなっちゃって、俺しかいないみたいな。

でも1年生を教えなくちゃいけないくて、
楽器の音も出ないし、それまで音楽なんてやったこともないのに。
せいぜい歌謡曲を歌うくらいだよ。だから仕方なく3年の時に一生懸命練習したわけだよ。
それで大学受験失敗しちゃったんだけど。

「受験生が毎日ラッパ吹いて!」って、学校にうるさい名物先生がいてさ。
その先生が、トランペット吹いてると俺のところに来るわけ。
でも俺は音が出なくて、音出さないと困るんだよ、
1年生に教えなくちゃいけないんだよって言い訳してさ。
でも受験なんだからって先生は言うわけ。

白金新聞
熱中したんですね。

北澤元朗さん
熱中した。音を出さなきゃなんないから。
それでようやく音が出るようになってようやく卒業したわけだよ。

それで、馬術部も良かったけど、ブラスバンド部も良いなって思ったわけ。
でも2つとも無いの。それで空手部に行ったんだよ。
練習が終わると講堂から音楽が聞こえてきて、講堂位に行ってアンタ方何なんだと。
なんでこんなところでジャズやってるんだって。

うちの武蔵大学には武蔵高校ってのがあるんだよ。
その武蔵高校時代にジャズバンド作ったやつがいて、
大学になってバラバラになったのが週に一回あつまってやろうってなって、
その1回に俺がたまたま当たったんだな。

そしたら私も入れてくれって言って、そこに入ったんですよ。
空手部と両方入ってたの。
それでやってたら、いろんな大学がいるから、
武蔵大学でも作ったら良いじゃないかって話になったの。
私の同年代もいなかったから。

それもそうだなって思って、武蔵大学でバンドを作ろうと思ったわけよ。
それで隣近所にいる人をみんな勧誘して笑

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ジャズといえばニューオリンズ

白金新聞
当時、ジャズっってメジャーなジャンルだったんですか?

北澤元朗さん
メジャーはメジャーだったよ。モダンジャズの方が隆盛だったかもしれないけど。

白金新聞
ロックとかはなかったですか?

北澤元朗さん
まだなかった。当時はビートルズが1960年台に出てきて、プレスリーがいたね。
プレスリーはアメリカじゃスゴイ流行ってたね。
ビートルズはイギリスだからね。
プレスリーは若い頃から人気があって日本でもファンがいたから
そこにビートルズがイギリスから殴り込みをかけてきて
世界制覇したみたいな感じになったんだよ。

白金新聞
当時、有名な人って誰なんですか?

北澤元朗さん
ルイ・アームストロング、ジャズの神様だよ
この人はジャズを作り上げたような人
黒人がニューオリンズっていう街の中で作ったんだよ。

白金新聞
一番最初はニューオリンズなんですね。

北澤元朗さん
なんでニューオリンズかっていうと、
ニューオリンズが黒人奴隷を輸入する港だったの。
だからそこは非常に栄えてたの。
ワンダフルワールドが一番有名かなサッチモのね。

白金新聞
北澤さんのおすすめの曲ってありますか?


ジャズの歴史を知る
北澤元朗さん
やっぱりこれを聴いてもらわないと。
この歌はグッドモーニングベトナムという映画の主題歌として使われたの。
ベトナム戦争があって、アメリカ人もベトナム戦争に疲れちゃって、65年に参戦したでしょ。
非常にまずい時代だったんだよ。
それでこの曲を歌って
グッドモーニングベトナムの映画の中で世界的に大ヒットしたの。

白金新聞
黒人奴隷から始まってジャズのアーティストとして
一番最初にご飯が食べられるようになったのは
大ヒット曲とかあったからですか

北澤元朗さん
ニューオリンズの街は大歓楽街なの。六本木とか浅草みたいな。
それでアメリカ全体から旅行に来るような大観光地で
そこにカフェとか赤線とかできたの。
それでアメリカ全土から観光客が来るようになったの

それでカフェとかダンスホールとかで演奏を始めたわけだよ最初は。
ところがラジオもテレビもレコードもない時代だからね。

ニューオリンズの音楽っていうのはどこにも伝わらないわけだよ。
旅行者がたまに聞いて、ニューオリンズにあんなのがあったぞって
口コミで広がるしか無いじゃない。1910年代だよ。

もともとジャズが何故ニューオリンズでできたかっていうと、
さっき言った南北戦争で黒人が楽器を手にできた、
手にできたって言っても直ぐにできたわけじゃなくて、
ずーっと前から畑の中で黒人が歌を歌ったりしてたわけじゃない。

黒人霊歌っていうゴスペル、これは賛美歌なんだけど、教会の中でコレを歌うの。
黒人はね、教会の中でジャズを歌うんですよ。日本人はお経でしょ。
それがジャズになるの。それを今まで口で歌ってたものを楽器を使ってやるようになるの。
一番最初はお葬式に行く時に葬送曲を演奏しながらお墓まで行くわけよ。

埋葬するでしょ、そこで亡くなった人は自由の天国に行ったって
喜びを爆発させて帰って来るの。「逝ったぞ、彼は!!」って。
それで聖者の行進とかあるでしょ、もともとお葬式の歌だからね。

白金新聞
悲しんでいる人はいないんですか?

北澤元朗さん
いない。やっぱり宗教的なこともあるね。この人は亡くなったから自由になった。
今世の苦しもなくなって、すごく喜ばしいことなんだって。
この間マンデラさんが亡くなったよね、南アフリカ共和国の。

その人が亡くなった日の夜は、黒人たちが夜通し歌ってたんだよ。
踊り狂ってたの。もともと、黒人の人達はそういうところがあるのかもしれない。
お葬式の帰りは大騒ぎして踊り狂って帰ってくる。
いつまでもメソメソしてない。それが一番最初のジャズの始まりなの。

それで結婚式でやったり、カフェでもやるようになって、
どんどんひろがっていったの。
でも当時は、テレビもラジオもレコードもないから世界中には広がらないわけ

広がったのは1922年初めてのレコーディング。
エジソンがレコードを発明して、このへんから実用化されてきたんだよ。
エジソンが発明して1917年に電気式のレコードが発明されて、
でも昔のレコードはドラムみたいになってて、そこを針がまわるんだよ。
オルゴールみたいのだから、大したことできないんだよ。

1920年位にレコードができて
1916年、大正5年には日本にジャズが伝来してるんだよ。

白金新聞
誰がですか?・・・笑

北澤元朗さん
誰かが持って帰ったんだよ!笑

白金新聞
トランペットとかドラムとかないですよね?

北澤元朗さん
じつは、日本に持ってきた人がいるの。すごかったんだよ日本は。
ラジオ放送が日本で始まったのは1925年だからね。
それで1930年位に放送が始まっても、普通の家にはラジオがないわけ

アメリカで1930年台になって、各家でラジオを持つようになって
ラジオが普及して全米に流れてこの音楽はいいじゃないって広がったんだけれども、
黒人の音楽でしょ。

あんな邪悪な音楽が、下劣な、あんなもの聞けるかってなるんですよ。
でもどうしても聞きたい人が出てきて、白人が白人だけでそっくり真似して。
白人は音楽大学出た人がいるから。

それで全米に広げていったってところがある。
黒人なんてどこにも入れないんだから。カフェとかダンスホールとか。

白金新聞
ええ!?入れないんですね!!

北澤元朗さん
昔はバスだって前半分は白人、後ろ半分は黒人だったんだから。
それで白人が乗ってきて、白人が座れないと黒人は立たないといけない。
人種差別って言われるといけないので区別しているだけだって逃げてたの。

だからトイレも黒人トイレと白人トイレがあって。今でもかなりある。
俺の同級生がアメリカに言った時にプール行くでしょ。

黒人が入ると白人の人たちがみんな出ていっちゃうの。
有色人種が入ってくると。黒人の人たちはホテルにも入れないからね。
プールなんか入れないからね。

白金新聞
ここ最近の話なんですね。

北澤元朗さん
ここ最近だよ。ゴルフ場にも入れなかったわけだよ。
タイガー・ウッズが出てきたから入れざるを得ない。
黒人専用のゴルフ場はあるんだよ。区別してるわけだから。

白金新聞
ぼくら世代だとジェームズ・ブラウンとかモハメド・アリですね

北澤元朗さん
東京オリンピックのときは、黒人は人種差別をなんとかしたいって気持ちがあって、
黒い手袋をはめてたんだよな。それが政治運動になるって。

オリンピックでは政治運動しちゃいけないってなってるからね。
でも政治運動につながるって注意されてたんだよ。

ジャズだってスゴイんだよ。
白人のバンドと黒人のバンドでギャラが10分の1なんだから。

白金新聞
えー!!

北澤元朗さん
で僕らの時代は黒人のバンドがどんどん日本に来たでしょ。
日本は黒人のバンドも白人のバンドも同じギャラを払ってあげるわけですよ。
だからすごく喜ぶわけ。アメリカだったらギャラが10分の1だから。
いまだってたくさん残ってるから問題になってるんだよ。

で、なんとなく行った大学でなんとなく勉強して、
勉強したことは社会の役に立つのかって
これは面白くもないし役にも立たないからやりたくないってなっちゃたの。
でも一応親にも卒業するって行ったから卒業しないとまずい。
それから毎日毎日がジャズの生活になっちゃったんだよ、
大学の2年生くらいから。

白金新聞
毎日がジャズ笑

北澤元朗さん
毎日がジャズ。無理やり引っ張ってきたやつが10人位いたから、
どうやって引っ張ったかって言うと、身近なやつから引っ張っていったの。
大学って面白いだよ。最初はあいうえお順で並ぶんだよ。

小学校は背の順でしょ。だからうちのバンドのメンバーは私は北澤でしょ。
かきくけこばっかりなんだよ笑
かきくけこで足りなくなったからさしすせそにいったんだよ笑

白金新聞

北澤元朗さん
北澤、キリハラ、カバシマ、クボタ、ゴトウでカキクケコ笑
足りなくなったから、サトウ、サカモト、スドウ、セオ、
全部カキクケコとサシスセソだけなんだよ笑

白金新聞

北澤元朗さん
身近にいるやつしかいないんだからさ笑

白金新聞
そろそろタ行のやつが笑

北澤元朗さん
でもサ行で終わっちゃったの笑

白金新聞
どうやってジャズに誘うんですか?

北澤元朗さん
ちょっとお前ジャズやんないかとか、音楽に興味ないのとか。
楽器なんて持ったことなくてもいいんだから、
俺だって高校まで持ったことなかったんだからって。

白金新聞
その頃の若い子のトレンドってなんだったんですか?
憧れとかって。バンドとかミュージシャンとかですか?

北澤元朗さん
バンドはあったね。あとは野球かね。野球一辺倒だった気がするね。
サッカーもなかったし。ただ音楽はね。

白金新聞
音楽をやってるとモテたんですか?

北澤元朗さん
ダンスパーティーってのがあったから。今はなくなっちゃったけど。

白金新聞
いいっすね!!

北澤元朗さん
今の合コンみたいのがあったわけだよ。

白金新聞
出会いの場があったわけですね。

北澤元朗さん
あれはやらなきゃだめだね。笑

白金新聞
それは楽しみですよね笑

北澤元朗さん
それが職場単位とか学校単位で毎日あったの。

白金新聞
合コンと同じくらいの頻度であったんですね。

北澤元朗さん
ある。街の中にはダンスホールとかたくさんあった。
それが途中から無くなったよね。エレキになってから無くなったね。
だんだんゴーゴーみたいのが出てきて、普通のダンスが無くなったね。

そこからダンスホールもなくなったね。あれはあったほうが良いよね。
そうするとね、ジャズバンドは仕事があったの。
伴奏があるからお金になったんだよ。

白金新聞
生演奏なんですか!?

北澤元朗さん
そう。

白金新聞
録音じゃないんですね!!

北澤元朗さん

生バンドが入ってるの。学生のバンドもすごく仕事があったの。
12月なんて休みがないくらい仕事があったの。クリスマスになってくると。

白金新聞
良いお小遣いになるんじゃないですか?

北澤元朗さん
なったの。普通のアルバイトしなくて済んだの。
それをやってるとサラリーマンより稼げるわけ。

だから間違ってサラリーマンにならずにバンドマンになったやつがいっぱいいるの。
さっきあげた紙にもいっぱいいるの。

そこのなかで優秀だったやつはちゃんと食べられたけど、一割だな。
あとの9割は食べられなくなったから諦めて。
オーディオ装置がよくなったでしょ?
だからバンドが要らなくなったんですよ。

白金新聞
オーディオ装置!!

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北澤元朗さん
私の友人たちはプロになったけど諦めたのが多かった
今もミュージシャンは大変だけどね。
私の後輩も食べてくのが大変なんですよ。

白金新聞
後輩がたくさんいそうですね笑

北澤元朗さん
でも学生時代は楽しかったんだよ、毎日毎日好きなことやってるんだから。
でもこれは諦めないといけない、食べていかないといけないって。
それで辞めて、ずーっと仕事に専念してきたわけですよ。

白金新聞
バンド辞めたんですか!!

北澤元朗さん
きっぱり辞めたの。それからトランペット持ったことなかった。

白金新聞
えー!!

北澤元朗さん
ジャズは諦めて後輩たちに任せればいいと思ってやめた。
それで60くらいになってボランティアをやりたいなっとおもったわけ。

そこで子どもたちに歌でも歌わせてみようって思ったわけだよ。
それでギターを習いに行ったんだよ。

白金新聞
ギターはそこからなんですね。
どちらで習ったんですか?

北澤元朗さん
山野音楽スクール

白金新聞
すごい、アクティブですね。

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再び楽器を始めることに
北澤元朗さん
いろいろやって、ボランティアやりたいという気持ちになってきて、
それで子供たちに歌を歌わせるならギターくらい弾けなくちゃダメだと思って、
ギターを習いに行ったの。

それで5年間くらい習いに行ったけど難しい
あまりうまくならないんだよ!

最初は子供の童謡を歌って、本当はフォークソングみたいなのを歌いたかったんだよ。
そしたら、習いに行った先生がビートルズとかクラプトンとかを教えるわけよ。
これは、モチベーションが難しいわけ。

白金新聞
そうなんですね

北澤元朗さん
むずかしいよ!クラプトン…
ギターの神様みたいな人だからね、その人をやれって言ったってさ、
こっちは「神田川」程度で良いと思っているわけだから!
あれをやれと言われたら、

とてもじゃないけど・・・エレキもやらないといけないしね。無理だと!
で、そのうち5年位やって、子供に童謡の伴奏くらいならできるから、
もういいやといって(教室を)辞めたのよ。

白金新聞
でも5年は長いですよね

北澤元朗さん
そしたら65歳くらいになってたんだよ。
その間に、大学の後輩が3人くらい死んだんだよ
。早死にしたんだよ。その3人がすごかったんだよ。
僕の後輩で一生懸命一緒にやっていた連中なんだけど、
ニューオリンズから招待されるくらい凄いプレーヤーだったんだよ。

白金新聞
へー!そんな凄い方が。

北澤元朗さん
いたんだよ。それが3人バタバタと死んだ・・。
そのころもうジャズ祭りは始まってたんだよ、もう18回でしょ。

白金新聞
はい

北澤元朗さん
ね、18回・・18年目だから。ずっと始まってたんだよ。
で、僕はその後輩のを聞きに行ってたわけだよ。

で、これが始まってたから・・僕は10回位でてるからね。
5,6年経った時に後輩が死んで。主催してるのは私も昔のバンド仲間でしょ。
でも、行っても後輩がいないじゃない。

・・・さみしいよなぁ、あいつら死んじゃってなぁっ、、、って話をするわけだよ。
彼らは親友だから、そして一緒にバンドやってた人間だから。
で、ジャズやったら?って言ってたんだよ、60過ぎたらやったら?って。
でも俺ギターやってるから、子供たちに歌うたわせるんだ。
って言ったら諦めてたの。で、最近ギターどうなの?って聞かれて、

あれは難しいから辞めた!って言ったらさ、大変よ笑
ギター辞めたならトランペット吹かない?って笑


北澤さんの演奏

白金新聞
あははは!

北澤元朗さん
そんな話になっちゃったわけだよ笑
向こうは、ギター辞めたらそりゃ好都合って言ってね。
自分が主催してるわけだしさ。戻ってこなくちゃだめだって。
トランペットって吹いてないと音でなくなっちゃうんだよ。

白金新聞
へー、そうなんですね

北澤元朗さん
全然、音がでなくなっちゃうの

白金新聞
YouTubeで観たらガンガンでてましたけど

北澤元朗さん
音でなくなって、63歳くらいかな、全然だめだって
40年くらい吹いてないわけだから。
・・・でもちょっとやってみてよっていうわけだよね。
彼は「ドラ」という店があるでしょ。
「ドラ」で17時の開店の前にアマチュアの連中の練習場所になってるんだよ。

北澤元朗さん
じゃあ行ってみるかって言って、でトランペット買ってさ。
行って、やっぱり音でないって言ったけど、
まだたったの一日で音出ないの当たり前だよと言って笑
しょうがないから毎日行ったよ、一年間くらい。
一年間、毎日練習したよ。

白金新聞
ハマったら、やっちゃうんですね北澤さん笑

北澤元朗さん
昔はやってたんだから。一年やったら流石に出るようになったよ

白金新聞
熱量・・・。自分も行ってみようかな。

北澤元朗さん
あまり生で聞いたことない?

白金新聞
あまりライブを生で聞いたことはなくて、、。
僕ら世代だとCDで
マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンに影響を受けた
アーティストがたくさんいますが

北澤元朗さん
あー、はいはい、モダンジャズの世界はちょっと違うんだよね!
われわれはモダン・ジャズは、こうお葬式のアレにはならないからね。
俺達の頃もモダン・ジャズ流行ったんだよ。いかにも哲学者みたいな顔してね。

白金新聞
あ、それをモダン・ジャズっていうんですか?

北澤元朗さん
わーって踊り狂ったりしないでしょ?
バックグラウンド・ミュージックとかにはいいんだよ。

お食事しながらとか、気分がいいの。
だけど、もともとのジャズの発想はそうじゃないわけだよ。

踊ったり、お葬式をやったり。
トラッドジャズというのは古いジャズなんだけど、
モダン・ジャズになっちゃうと、芸術性とか哲学生を重んじるみたいになっちゃって、
一般の楽しむ音楽から隔離しちゃったよな。

白金新聞
はい

北澤元朗さん
遊離しちゃったよな。だから、ここがジャズの墓場だったね。
やっぱり、大衆からはなれてっちゃった。
古い方はみんなで踊りを踊ったりあったわけじゃない。
それをあまり難しくしすぎちゃったの。

白金新聞
だから僕もとっつきにくくて、、、

北澤元朗さん
でもね、クラシックのベートーベンやバッハとかはそういうのだよな。
思想とか、こう・・・運命とかあるじゃない?そういう方向でしょ。
そういうふうにしてクラシックもだんだん流行化していったのが
そういうふうになっていったんだけど。

クラシックの歴史って400年・500年あるわけですよ。
それがずーーーっときたから、一番最後はのこってるんだけど。
ジャズの場合は50年くらいで、ワーってそうきちゃったわけ。

4,5百年の歴史を50年でやっちゃったわけ。
だから、大衆から離れて、なくなっちゃった。
ただ、ジャズが今までの音楽とどこが違うのかというと、
クラシックなどの西洋音楽は4拍子があるとアクセントが
ドン・チャ・チャ・チャ・ドン・チャ・チャ・チャと来るわけですよ、
強・弱・中・弱と来るんですよね。黒人のリズムはそうじゃなくて、
クラシックには全くないわけじゃないんだけどシンコペーションといってね、
リズムを狂わせる。ドン・チャ・ドン・チャってリズムなの。

アフタービートっていうやつ。だから今までの、西洋音楽と大きく違うのがコレなの。
で、このドン・チャ・ドン・チャって音楽は、
プレスリーも、ビートルズも、今のロックンロールも全部これになってる。
ジャズが根幹にあってできた音楽なんですよ。

白金新聞
へぇ〜・・・(唸り)

北澤元朗さん
今の音楽はすべて。だから、必ずアフタービートなの、
ドン・チャ・ドン・チャって。
これが、ジャズが今までの音楽との一番の違い。
今の新しい音楽は全部アフタービートになってる。

白金新聞
ジャズのアフタービート・・かっこいいですね。

北澤元朗さん
それは、プレズリーもビートルズもクラフトンもみんなそうですよ。

白金新聞
いろんなジャンルの知識を掘り下げてますね、、、。
全部調べてるんですか?

北澤元朗さん
いろいろするとそうなってちゃうんですよ笑

白金新聞
あははは笑

北澤元朗さん
それで、モダンジャズはそういうふうにして、
あんまりにも先行しすぎて大衆がついていけなくなっちゃってね。

すごい音楽だというのは確かですよ。
だけど、あまりすごくなっちゃうと一般大衆がついていけなくなっちゃうんだよ。

聴いてても楽しくないじゃん?
だって、しかめっ面して弾いてもさ。

白金新聞
それが普通なのかと思ってました、ずっと。

北澤元朗さん
でも、一番最初はそうじゃなかった。町中を踊り狂う音楽だったんだから。
でもほら、違うことやりたいと思うじゃないですか。

今までやってる人、ウィリアムストローンがやってたら、
同じことじゃなくてちょっと違うことやってやろうってなる。
アメリカの社会ってそういう所があるからね。
人と同じことをやっているのはダメなんですよ。

白金新聞
そうなんですねぇ

北澤元朗さん
野球だったらバットふるでしょ。時々縦にふるやつがいるんですよ。
そして、アレ面白いねって言ってくれるのがアメリカなんだよ。
そういうところがあるの。
日本だったら、あんなんじゃ当たらないだろ!って言われるけど。
当たらなくたって良いんだよ、あんなことやってるやつ面白いって言ってくれる。

白金新聞
フリージャズもそういう事になるんですか?

北澤元朗さん
フリージャズはそれをもっとイッちゃって、なんでもOKになっちゃったの。
もう、めちゃめちゃになっちゃってるから、何やってるんだかわからない笑

白金新聞
あはははは笑

北澤元朗さん
だって、みんなが違うことやるんだもん。
一番最初のジャズは、モダンジャズの中にもあるんだけど、
一応コード進行ってのがあって、音楽の和音のコードシンコにのっとってやってるんだけど、
フリージャズなんてなにもないんだもん。何やってもOKだから。

白金新聞
何やってもOKなんですね。

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