第六回白金今昔物語 加藤誠さんです<前編> 2019.7.10
白金に長く暮らし、
“今の白金””昔の白金”を語っていただく
インタビュー企画
第六回白金今昔物語
機械職人と、ディズニーマニアの顔を持つ加藤誠さん<前編>です
☆白金理容かわむらの店主河村さんのご紹介☆
1.こどもの頃はおばあちゃんにおんぶしてもらって、近くの町工場をのぞいたり
実際に動いている機械を見るのが好きだった幼少時代を過ごし、
現在は、機械設備の職人さん。技術指導のためベトナムへ出張することも。
2.貴重なアイテムがいっぱい。お母様のディズニーグッズコレクションに囲まれながら
元祖ディズニーランドアナハイム40周年、50周年の思い出を語る。
加藤誠(かとうまこと)さん(58歳)
プロフィール
三光小学校
朝日中学校
都立港工業高校 機械科
都立工科短期大学 精密機械工学科
千葉大学工学部 機械工学科
ディズニーランド(ロサンゼルス郊外アナハイム市) 28回
ディズニーワールド(フロリダ州オーランド) 3回
ディズニーランド(パリ郊外) 2回
東京ディズニーシー約60回
東京ディズニーランド約1400回
白金新聞
河村弘一さんから
凄い人がいるんだよと
勧められて取材にきました。
本日はよろしくお願いします!!
加藤誠さん
白金新聞でインタビューは4回目、5回目ですよね?
なんでうちなのかな?と。
白金新聞
河村弘一さんも昔からカメラで
写真をたくさん撮っていますし、
いろんな知識をお持ちで
その河村さんがおすすめするのが加藤さんですからね!!
加藤誠さん
いやいや趣味界だともっと上の人もいるわけですし。
例えばディズニーでしたら講談社のディズニーファンて言う雑誌がありますよね。
その中にそういう人(コレクター)が出るコーナーもありますし、
それぞれ好きなもののジャンルがあるんでね。
白金新聞
それを見るとまだ上がいるんだなって思うんですか??
加藤誠さん
凄い人いるなーって思いますね。
我々の知り合いでもいますし、
そういう仲間がお膳立てして
アメリカ旅行に行ったり。
まぁ、平均すると毎年海外(のディズニー)に行ってますね。
海外にディズニーってあちこちあるでしょう。
1番初めにできたディズニーランドはロサンゼルスの郊外アナハイムで、
その次はフロリダ、
3番目が東京ですよ。
その次はフランスパリですね。
最近では、香港上海。
香港上海は行ったことないですけど。
※ディズニーランドの開園日
●ディズニーランド (アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイム) 1955年7月17日
●ディズニーワールド(アメリカ合衆国フロリダ州オーランド) 1971年10月1日
●東京ディズニーランド 1983年4月15日 ●ディズニーランドパリ 1992年4月12日
●香港ディズニーランド 2005年9月12日 ●上海ディズニーランド 2016年6月16日
白金新聞
さっそくですが、あえてベストと言えばどちらですか??
加藤誠さん
やっぱりアナハイムでしょうね。
あそこは違いますね、別格ですね。
穏やかな雰囲気というかね、時間がゆったり流れてますね。
白金新聞
東京だとせわしない雰囲気があるんですが
ファストパスをとるためにダッシュするとか笑
加藤誠さん
いつも混んでるし殺伐とした雰囲気がなんとかならんかなと。
昔を知ってるんでね。そんなに混んでなかった頃から行ってるので。
白金新聞
へー凄い!!
加藤誠さん
最初行ったのは東京で、
1988年の5周年の時に初めて行ったんです
白金新聞
ロサンゼルスだとどうですか??
加藤誠さん
そんなにアトラクションに乗らないってのもありますけど
人気のアトラクションは30分、
たまに1時間くらい並ぶってこともありますけど、
気候がいいですよね。
冬行ってもちょっとあったかいでしょ。
1988年の東京ディズニーランド
白金新聞
東京で初めて行ってからのめり込むまではどのくらいだったでしょうか??
加藤誠さん
あれはねー初めて行ったのは、1988年5月28日の夕刻ですよ。
確かその日は、本当はね、会社の人間と午前中展示会があるって行く予定をしていたんです。
ところが雨が降り出して、先輩が展示会に行くのを止めようと言い出しまして。
展示会が中止になってしまって
そのころ私は鉄道が好きで川崎の方の操車場に行く準備をしてたんです。
母から前に
お前は1回ディズニーランドに行ったほうがいいって言われまして、
しぶしぶ操車場には行かずに、ディズニーランドに行ったんですよ。
それではまりましたね。
ディズニーランドはいいじゃないかと。
鉄道にハマる方が先だったんですね。
わかんないんですけど全然先なんですよ!
起源はわからないんですが(笑)
白金新聞
お母様の影響なんですね!!
加藤誠さん
今ほど激しくはなかったですけど、
ぼちぼちと言う感じで。
乗り物と言うよりは雰囲気と
ただで観るられるパレードとか。
ただで観られると表現しましたけど、
当時はチケット代が、アトラクション毎に別だったんですよ。
昔は別チケットになっててランクがあるでしょう。
ABCDEと。
ちょうど私が行った年は5周年記念のイベントが開かれてて、
盛大ですごいなこれはと言う感じで見てましたね
海外のディズニーランドへ
白金新聞
当時のディズニーランドの印象はどうでしたか?
家族で地方から行くとまだお高いイメージがあるのですが…
加藤誠さん
イメージとして敷居の高さはありましたね。
例えば、お弁当持ち込みはいけないとか、固いよなってイメージはありました。
園内のテーブルサービスに行くとちょっと高いよなって。
だからずいぶん違うものが入ってきたなという印象でした。
あと、私より数年、年上の世代のお話ですが
当時、海外のディスニーランドを紹介するような番組があって
子供心にいつか行きたいと。
私が小学生の頃は、国内旅行で新幹線乗るのも贅沢な時代でしたからね。
白金新聞
アナハイムへはどのくらいのペースで行ってるんですか??
加藤誠さん
平均すると年一回ですね。
行かない年もあるけど、
大きいイベントの時は、3回行った年も(笑)
白金新聞
イベントを狙っていくんですね!!
加藤誠さん
1996年はね向こうのエレクトリカルパレードが終わる年で
1972年に始まって24年続いたパレードなので盛り上がっていました。
確か期間の延長をしていたんですよ。ものすごい人が連日来るようになって、
クリスマス直前まで延長してましたね。
だから4月、7月、10月と3回行きましたね。
白金新聞
3回も凄いですか!!
え?エレクトリカルパレードが終わったんですか??
加藤誠さん
そのあとね、一昨年(2017年)に行った時はディズニーランドでやってました。
あとアナハイムが50周年の年(2005年)に
どんな雰囲気かなって前哨戦で5月に行きました。
ショーとか記念グッズは早めに売りますから
それから、7月17日の50周年当日に行って
もう一回行こうと(笑)
白金新聞
当日は凄そうですね!!
加藤誠さん
全世界から集まりますから。すごいですよ。
仲間と徹夜しました。急遽集合して作戦会議(笑)
今回はヤバそうな雰囲気だぞと。
白金新聞
感じるんですね(笑)
加藤誠さん
あとで聞いた話だと1万人の徹夜組が並んでいたと。
私たちは、300、400番目くらいに並んでいましたね。
でも向こうはね、
あらかじめ待機場所を確保してくれてたり、
第2テーマパークを開けてくれて軽食のお店を開けてくれるんです。
白金新聞
親切ですね!!
ディズニーファンの繋がり
加藤誠さん
それで入場すると欲しいディスニーグッズを買ったり、
メインの式典はところところで式典の様子をプロジェクターで見ることができたり。
ウォルトディズニーが亡くなったのは
1966年12月15日でしょ。
私が6歳のときです。
白金新聞
全部覚えてるんですか??
加藤誠さん
多分、常識(笑)誕生日は12月5日ですね。
白金新聞
失礼しました(笑)
ディズニーマニアと繋がるきっかけが気になるのですが、
パークで声をかけてるってことですよね?同じ匂いがするとか??
加藤誠さん
そうですね。
いつも同じ場所でショーを観ているとか
そうゆう繋がりですね。
白金新聞
来ている日が同じだったり??
加藤誠さん
我々は、中で顔を合わせて知ってる人間ですから
仲が良いですね。
普段はバラバラでパークで遊んでて、
パレードの時に場所とっとくから後でおいでよって。
白金新聞
いいですね〜
カウントダウンの思い出
加藤誠さん
一番大変だったのはカウントダウン
徹夜するんですよ。
今はできないのかな??
これはちょっと載せないほうがいいかもしれないです(笑)
白金新聞
え!?そういうことですか!?
加藤誠さん
一番早い時には1998年12月22日の晩からスタートしてます。
自主的に待機列ができていて。
年々増えていた時期で、
その年は15周年だったので。
パークに集まる仲間と
極秘に動いていて(笑)
白金新聞
加藤さん以外にも
いろんなコミュニティがいるわけですね!!
加藤誠さん
この辺は公にできないかと。
白金新聞
凄いですね!!
加藤誠さん
おおむね8時間の三交代シフト作ってくれる人がいて、
女性はお昼、夜は男性のシフトですね
なぜか私が幹事長なんですよ。
白金新聞
加藤さんは、リーダータイプなんですね(笑)
加藤誠さん
いつだっけな。
12月31日のチケットを取るのが大変で。
白金新聞
売り切れもあるんですか??
加藤誠さん
パークの定員があるので。
白金新聞
他にもディズニーランドで印象的な思い出ありますか??
加藤誠さん
いっぱいありますけどね。
いっぱいあってね、絞るの大変ですよ。
50周年を1位に置いて
2位3位を考えてますけど絞りきれません。
母も生粋のディズニーマニア
加藤誠さん
ディズニーグッズが買えるディズニーストアは、
今はあちこちにありますよね。
あれが日本にできたのは92年の8月なんですよ。
第一号店は横浜の本牧なんです。
白金新聞
本牧なんですか??
公園通りかと思っていました。
加藤誠さん
でも渋谷は開店一桁番目のはずです。
パークのグッズが売ってませんけどね。
白金新聞
そうなんですね。
加藤誠さん
母親は2017年の時点で全国123店舗行っています。
白金新聞
えええええ????
加藤誠さん
それも開店記念日に行ってました。
限定のグッズだったり。
テレホンカードが定番でありましたね。
白金新聞
お母様が凄い…
2位3位は決まりましたか??
加藤誠さん
アナハイムの
50周年も良かったし、
40周年も良かったんですよ。
両方当日行っているので凄すぎるものがいっぱいあって。
向こうはほんとお祝いに来ている
そういう印象を持ちましたよ。
40周年に行ってあとでわかったのが、色々なTシャツがあって
キャストが作ったらしいTシャツ40(周年)と書いてあるもの
一般にショップで発売されている40周年記念もの、
それ以外だと、白いTシャツにただ40と書いただけ(手作り)の人もいました。
白金新聞
周年イベントが楽しそうですね。
加藤誠さん
いいですよ。
向こうは5周年ごとにやっていて、
60周年もでかいイベントでしたね。
白金新聞
10年区切りで盛大ということですか??
加藤誠さん
大きいのは25年区切りです!!
フロリダの25周年が大きかったですね。
お城がバースデーケーキになりましたよ。
白金新聞
ほぉ〜
知らないと損ですね。
ハロウィンが大きいイベントかと思っていたので。
加藤誠さん
ハロウィンは定番ですよ。
あ!記憶にないかもしれないお話ですが
ディズニーランドにお休みがあったって知ってますか?
ディズニーあるある
白金新聞
えええええ
今はないですよね??
加藤誠さん
冬の時期、お客さんの少ない1月2月、
火曜水曜とか休んでいて。
クリスマスのイベントが始まる
前日前々日にあたり休みがあって、
そこで飾り付けを一斉にやるんですよ。
だから今みたいにジワジワ変えるんじゃなくて。
白金新聞
今はジワジワなんですね。
加藤誠さん
ワールドバザールの真ん中にあるツリーが
ジワジワ飾りが増えていると聞きました。
しかも昔は毎年切り出して持ってきていたんです。
今はもう地下にしまってあるでしょ?
白金新聞
そうなんですね!!
加藤誠さん
一説によるとデパートの法律の絡みというか、
休まなくてはいけないとか。
変な法律が絡んだり
ウエスタンリバー鉄道が一周して帰って来なくちゃいけなかったり。
それもそうでしょ?汽車で移動できなくて。
白金新聞
乗ったところに戻らないといけないと。
鉄道とディズニーマニアと二足のわらじ
加藤誠さん
アナハイムもフロリダもそうだし、
パーク一周してるけど途中まで移動手段として使える。
ウォルトディズニーが鉄ちゃん(鉄道マニア)だから。
白金新聞
鉄道マニアですか??
加藤誠さん
自分の家でライブスチームの蒸気機関車走らせてたわけでしょ。
だから鉄ちゃんとディズニーマニアは二足のわらじって結構いますよ。
ひとりはレールマガジンの元編集長さん。
白金新聞
ディズニーから鉄道へ
鉄道からディズニーへ
ということですね!!
加藤誠さん
鉄道の他にも色んなところに広がりますからね。
一言でディズニーファンといっても、
ジャンルの範囲が広すぎるんですよ。
白金新聞
ほー、ディズニーファンの中に
グッズを集めるだけではなくて、
それぞれマニアが別れるということですか??
加藤誠さん
はい、掛け持ちもいますし
パークで楽しむ、
ショーを楽しむ、
アトラクションを楽しむ。
グッズもクマさんを揃えたり
グッズマニアでも何を集めるか?も。
白金新聞
キャラクターもいっぱいですから!!
加藤誠さん
だから収集つかなくなるから
絞った方がいいですよ(笑)
母は、クマさん、ミニーちゃん、悪役のヴィランズでしたね。
謎解きも楽しみの一つ
白金新聞
お聞きしたいのですが、
選ばれた人しかいけないクラブ33へは行ったことはありますか??
加藤誠さん
あります!
会員の方の紹介がないと入れないです。
白金新聞
会員とはなんのでしょう??
加藤誠さん
それがどう会員になっているのかわからないんです。
知り合いに一人だけ会員がいて入ったことがあるんですけど、
コネクションがないと無理ですね
お金を出せば入れるってもんじゃないです。
白金新聞
なんで33なんですかね??
加藤誠さん
これはね、
もともと東京より前にアナハイムのディズニーランドにクラブ33があったんですよ。
その中で番地が振り分けられてるらしくて、
そこの33番地というのが由来らしいです。
数字というのが面白くて、
例えば以前に”パーク内の”消防車が走ってて、
そこに書かれている車番の由来が見えちゃったり。
2台”の消防車が”いて55番71番の番号が付いてて
ディズニーランドオープンが1955年、
ディスニーワールドオープンが1971年、
この数宇とったね!と
意味が隠されてるから面白いんです。
白金新聞
なるほどー!!
そういうところが惹きつけられる魅力なんですね!!
鉄道とディズニーマニアと二足のわらじ
加藤誠さん
ある時、消防車がリニューアルされて番号が変わったんです。
そしたらね35と58になっていたんです。
あぁ、そうかそういうことかと。
昭和35年オリエンタルランド設立、
昭和58年東京ディズニーランドオープン
そういうことだろうなきっと
勝手に思っています。
今、解読できないでいるのが、
ディズニーシーを走っている2両編成×4本の
電車の番号バラバラになっていて、
これが何か想像してるんですけど
わからない…
白金新聞
コミュニティでも話題に出るんですか??
加藤誠さん
でますよ。
白金新聞
インターネットで調べるとか??
加藤誠さん
載っているかもしれないけど
あえて見たくない。
なんでもググるのは良くない(笑)
私が好きなのは、
ディズニーランドに入ると
まずエントランスがあって、
ワールドバザールがあってメインストリートで
かかっているBGMがいい曲なんですよ。
正確に測ると
そのBGMは59分30秒で一周してますね
白金新聞
ほーーー
測ったんですか!!
加藤誠さん
BGMリストがあるんです。
30年前に実はもらったんですよ。
一日の最初に聞いておくと時間もわかっちゃう。
白金新聞
凄い!!
加藤誠さん
ジャンル的にはラグタイム、
ジャズになるちょっと前の
クラシックとジャズの間に位置するような
楽しい曲ですね。
その曲が入っているCDを探し回るわけですけど、
東京は83年にオープンしてるわけでしょ。
元がLPなんですよ。
だから見つからないんです。
後に一部がCDが出て、
数曲入っているCDは持ってるのですが
本当はパークと同じように曲を流したいんです。
パークに通っていてわかったのは
あそこの街っていうのはウォルトディズニーが幼少の頃に過ごした
マーセリーンの街なわけですよ。
その曲名を調べていくと、育った町マーセリーンの過ごした時代と
曲の時代とがあってるんです。
白金新聞
確かにBGMで違和感あったらおかしいですよね。
※ウォルトディズニーWikipediaより引用
ウォルトが幼い時に一家は叔父のロバート・ディズニーの住むミズーリ州マーセリーンへ
更に引っ越して農業を始めたので、結局の所はミズーリ州で少年期を過ごす事になった。
ディズニー一家の畑の近くにはサンタ・フェ・パシフィック鉄道が走っており、
その鉄道の走る音が好きだった。
アルバイトで、鉄道構内で新聞やポップコーンを売る仕事をしていたこともある。
ディズニーファンとの交流はアナハイムでも
加藤誠さん
アナハイムのパレード待ちで、
歴代の年間パスポートを持っているおじいちゃんと話したり
おじいちゃん「これが歴代の年パスだぞ」
加藤誠さん「スッゲー」
という会話をしていたときに
私もちょうど持っていて
(すかさず)
これが4箇所全世界(※当時)の年パスだぞ
東京、フロリダ、アナハイム、パリ
おじいちゃん「うーん…(全世界のパス…凄いな)」
と言っていました(笑)
白金新聞
どっちも凄いです!(笑)
白金の思い出
加藤誠さん
こどもの頃はおばあちゃんにおんぶしてもらって
近くの町工場をのぞいたり。
実際に動いている機械を見るのが好きだったこどもで
三光小学校、朝日中学校、
機械好きが講じてか都立港工業に行きまして
都立工科短期大学行って、機械設計のバイトをして
そのあとは、千葉大工学部へ編入しました。
機械のお仕事で出張
加藤誠さん
ベトナムのコーヒーでも飲みますか?
白金新聞
いただきます!!
そういえば、加藤さんのお仕事はなにをされてるんですか??
加藤誠さん
普通に会社員をしています。
ちょうど仕事でベトナムへ1週間行ってまして。
去年、一昨年はね
機械設備の移設がいろいろありましてね。
自分で設計した設備を
設置して帰ってきました。
白金新聞
前に電気関係の仕事の経験がありまして。
それはCADで図面を書かれているんですか??
加藤誠さん
社内設備の設計をやってまして、
CADとかではなく手書きが多いです。
昔は急ぎで作れーっていうことも多くてね。
もうフリーハンドでわーって書いて
部品作れーって(笑)
それで機械ができちゃうんだから凄いよね。
白金新聞
それって現場の対応力が凄い気が(笑)
加藤誠さん
まずは現場のスケッチに行くじゃないですか。
スケッチができない人間はダメですよ。
加藤誠さん
まずはこう描いちゃうわけ。
例えばここ何ミリ、こうするといっぱしの図面ができるんです。
これで作れーって。
白金新聞
これで、できちゃうんですか?
加藤誠さん
実際、現場に行って機械を分解してね。
その場で寸法を測って絵を描いて
機能的に大事なところには公差入れたりして、
自分なりにアレンジしてね。
中には磨耗して寸法がわからないのは推定して。
白金新聞
ほぉ〜技術者ですね!!
加藤誠さん
タイにも行って、2017年にベトナムにも行って。
ベトナムの人は律儀というか義理堅いですね
白金新聞
向こうの方は知識を得ようとか貪欲と聞きますが??
加藤誠さん
まー熱心ですね。
中国の方も整備のため日本に来てて熱心でした。
白金新聞
指導する側で海外出張をするのはかっこいいですね!!
言葉が違いますが
細かなニュアンスは伝わるものですか??
加藤誠さん
数人は日本語ができたりするので、
伝わりますね。
機械の構造を教えてここが肝だからねって。
電話じゃなくて
その場にいるから向こうも吸収してくれますね。
理解してくれてると感じますよ。
白金新聞
機械で取材されたこともあったり??
加藤誠さん
ない!それはないです(笑)
白金新聞
ありそうな気がして(笑)
以前に取材した折原さんが電気で
加藤さんは機械なんです。
加藤誠さん
ずーっと好きな機械ばかりいじくりまわしてきましたから。
白金の町で。
こどもの頃の近所にあった町工場、
白金に帰着するんでしょうね。
昔住んでいたのは
今の白金タワー近くの、大きい通りから3軒目に家があって、
再開発でお引っ越しをしたんです。
おじいさんが電気工事屋さんだったみたいで、
加藤電気商会ってハンコが出てきました。
白金で2回引っ越ししてるんです。
白金新聞
白金タワーになる前、あの辺りに銭湯ありましたよね??
加藤誠さん
あそこは確か地下からとってるから
お湯が茶色いかった。
あの頃は、近所に歩いて5分のところに銭湯が3軒ありましたよ。
夏の暑いときに茶色いのいやだなーって
あちこち回って、別の銭湯行ったらお休みだったり。
結局、麻布十番温泉へ
下駄でガラガラ歩いてさ、やっとあったお風呂だーって着いたら
そこも茶色だった(笑)って思い出も。
白金新聞
いい思い出ですね(笑)
加藤誠さん
昔は銭湯が珍しくなかったですからね。
白金新聞
加藤さん、おすすめの通っているお店ありますか?
加藤誠さん
床屋さん(理容室かわむら)。
白金新聞
外食でおすすめはあります??
加藤誠さん
舞浜のイクスピアリのイタリアン!
白金新聞
さすが、加藤さん(笑)
<今回の取材について>
本来であれば加藤誠さんのお母様に取材をさせて頂く予定でしたが、
残念ながら逝去され取材自体ができないと思われました。
しかし、加藤誠さんのご厚意により今回の取材が実現できたことを
心より感謝申し上げると共に、お母様のご冥福をお祈りいたします。
次回、加藤誠さんとお母様のディズニーグッズコレクションの一部を公開